8月のお盆の時期に、三笠市の幾春別地区にある旧奔別炭鉱のゲートが開放されました。
・NPO法人炭鉱の記憶推進事業団「奔別炭鉱ゲート開放」(リンク)
北海道の炭鉱は、空知地方を中心にかなりの数がありました。現在は閉山していることもあり、旧炭鉱すら見る機会は殆どありません。炭鉱のゲート開放、興味があったので行ってみることにしました。
こちらがゲート前。ここまでは、以前に来たことがあります。
こちらが、説明板です。
ガイドツアーも実施されます。もちろん参加。時間があるので、掲示物を見て、奔別炭鉱について勉強しておきます。
ガイドツアーの開始時間近くになりました。
北海道新聞に載ったこともあり、主催者側の想定を上回る70名くらいの参加がありました。
最初に立坑櫓を見学。
私は、集団の真ん中辺りにいたので、ここの説明を十分に聞き取れないことがあったのが残念。
建屋正面にまわります。中には入れません。
こちらの画像、ガイドツアー後に撮りました。
話は前後しますが、ここで事務員として働いていた方が、ツアー後に訪れました。御年は94歳。貴重なお話を、私を含む数人でお聞きすることができました。
・この建屋の3階が事務所だったこと。
・「やまさつ」という炭鉱でのみ使用可能な通貨を発行して、それで物品を購入していたこと。
そして、
・閉山となった時には、「手足をもがれるような気持ち」であったこと。等々
ツアーに話を戻します。ここからは、ツアー参加者しか入ることができません。こちらの建屋は、少量の石炭を保管する施設。
炭鉱住宅などに分配する石炭を一時的に保管していたとのこと。(この辺りから、そろりそろりと先頭集団に入り、説明が聞きやすくなりました)
こちらは、ホッパー。炭鉱で採掘した石炭を、出荷・積込まで貯めておくための施設です。
左(奥)側が古く、それを稼働させたまま、右側を造ったそうです。
建屋には線路が3本あり、石炭車が各線に10両入り、石炭を積み込んでいたとのこと。こちらも、中には入れません。
反対にまわります。
真ん中の開いている扉から中を除くと…。
先ほどまでいた向こう側が見えますね。ここに線路があり、奥まで石炭車が入っていったのです。
かつての日本を支えた炭鉱。その遺構を間近で見ることができたのは、貴重な経験となりました。
最後に、奔別炭鉱の歴史を年表にまとめたものを記しておきます。
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