※ 記事を投稿しましたが、1~2日の間は加筆修正をするかと思います。ご容赦ください。
JRヘルシーウォーキングの開催日に、日本遺産「炭鉄港」関連のミニツアーが実施されるようになったのは一昨年から(室蘭は昨年から)。追分駅では、今年も鉄分補給をメインに企画されたツアーが行われました。
・炭鉄港ポータルサイト | 炭鉄港ガイド付きミニツアー「鉄道の町あびらを巡る!炭鉄港 鉄分補給ツアー」を開催します
昨年は、午前中が中級編、午後が初級編でした。今年は午前、午後ともに同じ内容となりました。さて、どのような内容になったのでしょう?
※ 昨年も参加し、記事にしています。こちらもお読みいただけたら幸いです。
私は、午後の回に参加しました。追分駅前を13:50にスタートです。ガイドを務められたのは、あびら鉄道交流推進協会(あおぞら会)の矢野事務局長です。
最初に、駅前に保存されているSL「D51-465」の動輪を見学します。
ここでは、D51についての詳しい説明がありました。Dとは何を意味するか? 数字 “51”は? さらに、そのあとの数字は? 動輪の軸数が3本なら“C”、4本なら“D”。数字ですが、10から始まるのはタンク機関車、50から始まるのはテンダー(炭水車)付き機関車。そして、最後の数字は製造番号です。
そして、この465号機がどの機関区に所属し、どこに転属したかという車歴についても教えていただきました。
その横にあるのは、こちら。「D51-320」のモニュメントと電気自動車の充電設備(知りませんでした)です。
明治時代や昭和28年などの数枚の写真とともに、街並みの移り変わりについてお話がありました。駅前には林田待合所があって駅弁を売っており、お食事処としての役割もあったそうです。
次に、追分駅南側にある跨線橋に移動します。時間は14時少々過ぎた頃。ちょうど追分駅が一番にぎやかになる時です。
目隠し版があるため、うまく撮れませんでしたが、1番ホーム(右)、2番ホーム(中)、3番ホーム(左)に列車が停まっています。一日の中で追分駅のホームすべてに列車が停まっているのは、この時間帯だけなのです。(4番ホームもありますが、現在は使用されていません)
14:04発の千歳行き普通列車(H100)が出発しました。ヘルシーウォーキング参加者を運ぶためか、通常1両のところ増結され2両編成でした。
追分駅を発車する列車としては、すごい混みようとのこと。ウォーキングされた皆様、お疲れ様でした。
次に出発したのは、14:05発の岩見沢行き普通列車(キハ150)です。
最後は、14:09発の苫小牧行きの普通列車(キハ40-1790・山明)。団体向けの観光・臨時列車としても使用されます。
※ 2019年のJR北海道苗穂工場の一般公開では、同車両が展示されていました。
追分駅に、静けさが戻ってきました。
撮影タイム(?)も終了し、ここから見える操車場跡の説明がありました。広い追分駅構内が以前はどうだったのか、過去の写真と見比べながら説明を受けます。
以前はこの場所に、仕分け線や石炭線(機関車に石炭を積むための線路)
など数多くの線路、そして検査場、機関庫などがありました。
※ このような写真を含む資料を見せていただけるので、分かりやすいです。
投炭練習場もあったとのことです。機関助士になる前に、石炭をくべる順序を学んだ施設で、
蒸気機関車内の火室にくべる際に平らになるよう練習したそうです。大変な作業であったことが、容易に想像できますね。
機関庫焼失の話もありましたが、原因は不明とのこと。不審火らしいのですが…。
もともと追分町(現安平町追分)は、鉄道に関係している人が半数以上いたそうです。この町における鉄道の役割の低下に伴い鉄道関係者も少なくなり、当然(町の)人口も減少という流れになりました。昭和34年の追分の人口は7.260人。現在は2.826人だそうです。
目隠し板には、どこかで見たような列車が。
JR北海道のジョイフルトレイン「リゾートエクスプレス トマム&サホロ」ですね。
実車は、こちらです。(撮影年月不明。苗穂駅構内にて)
跨線橋を後にし、今度は追分中学校へ向かいます。途中、駅前周辺がいかに賑わっていたかたという説明を聞きながら、到着しました。目的は、この動輪です。
ここは、昨年のツアーではコースに組み込まれておらず、個人で訪れました。そのため、学校敷地外からの見学。今年は、間近で見ることができます。
ところで、この動輪ですが、「D51-237号機」のものではないのです。
よ~く見ると・・・710の刻印があります。(0が見難いです)
こちら、710号機の動輪なのです。
台座に記されている237号機は、苗穂工場に静態保存されています。
237号機と710号機の車歴の説明もありました。
「D51 237」と書かれた銘板の上にあるのは、710号機の動輪。なぜ、このようなことが起きたのでしょう?
237号機というと、苗穂工場で作られた記念すべき最初のSLです。そのプレート(レプリカです)を残したかったのではないか? また、昔は機関車の車輪の “振りかえ”(例えば、237号機に710号機の動輪を取り付ける)の可能性もあるのでは? ということでした。
ちなみに710号機は、追分で廃車→解体されました。
ところで、この動輪は線路から落ちています。2018年の北海道胆振東部地震の影響とのことです。震度6強(追分で)となると、このようになるのですね。
見学を終え、次の目的地までは、しばし市街地を散策。
古い新聞販売店の前を通りました。現在、こちらは使われていないようです。
「主婦の友」、現在は休刊中。各紙(誌)の看板、いい味を出していますね。
ちょっとした空き地で、飛び立つ鳥が2羽。白と黒のツートンカラーで、大きめのサイズ。そうです、カササギです。(写真は撮れませんでした)
もともと北海道にはいなかったのですが、今では道南の苫小牧市などではお馴染みとなりました。ここは、苫小牧と比較的近いので、普通に見ることができるのかもしれませんね。
追分小学校です。ここにもD51の動輪が保存されています。929号機です。
ここでも車歴の説明がありました。追分とは直接関係ありませんが、鷲別~岩見沢間の室蘭本線を走っていた(追分は途中駅)機関車とのこと。
そして、最後は道の駅「あびらD51ステーション」へ向かいます。途中には栗の木がありました。
まだ早いですね。
歩いている途中の雑談(?)で、貴重なお話を聞けました。打撃の神様といわれた川上哲治氏が追分の学校を訪れ、野球を教えた後に記念講演をしたとのことです。
「あびらD51ステーション」では最初に、裏手に保存されている動輪を見に行きます。
こららが、追分で保存される予定だったSLの動輪です。火災がなければ…、。
241号機は苗穂工場製で、製造されてから最後まで追分にいました。昭和29年には、お召列車の先走り列車(指導車)を牽引しました。
昭和50年には、夕張から追分まで最後の石炭列車を牽引。その前に車検切れで廃車になる予定だったとのことで、苗穂工場で保存することを考えていたのではないか? ということでした。
そして建物内へ。炭鉄港のブースや、追分と鉄道との関りを説明するパネルも展示されていました。
併設されている鉄道資料館で、SLの説明を受けます。火災時、外に留置されたいたため、被災を免れた320号機です。
そして、最後はキハ183の車内見学です。時々、一般公開されていますが、この日はツアー参加者のみが対象でした。
懐かしいですねぇ。特急車両ということで窓は開きませんが、冷房を入れてくれていたので快適でした。
これでツアー終了そして解散と思いきや、ここでサプライズが!
運転室を見学させていただけることになりました!! 参加者から「おー」の声が。
まったくの想定外!!! こんなチャンス、めったにありません、小躍りしたい気分でした。
高い位置にあるためか、視認性はバツグンですね。あと、考えたくありませんが、ぶつかった時など、安全面でも優れていたのでしょう。
ちなみに、外観は。
横の窓から、前方を。
後方は。
このアナログ感、堪らないですね。
当時は、追分駅で運転士が交代していました。
画像を撮り忘れましたが、運転席後部に送風口があり、エンジンがかかっていると冷風が流れてくるとのことでした。そうでないと、耐えられないですよね。
ミニツアー終了です。今回も楽しい時間を過ごすことができました。
追分でのミニツアーは、過去3回すべてに参加しています。ガイドをされる方は、各回違いました。同じことを説明されるにしても、ガイドさんによって切り口が異なるので、毎回参加しても興味深く聞くことができます。
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北海道の空知振興局、そしてNPO法人炭鉱の記憶推進事業団など各種団体は、日本遺産「炭鉄港」の理解をひろげる活動に力を入れています。来年のJRヘルシーウォーキングでも、追分はもちろんのこと、岩見沢、美唄、室蘭、小樽などでミニツアーが開催されるかと思います。
ヘルシーウォーキングに参加される方も、そうでない方も、一度このツアーに参加されてみてはいかがですか? きっと新たな発見があるかと思います。
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