2024年8月28日水曜日

【丘珠空港緑地を散歩】

いきなりですが、飛行機はお好きですか? 大好きという人もいれば、見るのはいいけど乗るのはチョット、という人もいるかと思います。札幌市内で、飛行機を見ながらウォーキングを楽しめる場所があります。それは丘珠空港緑地です。

この緑地は、北西地区、北東地区、南東地区に分かれています。どのようなところなのでしょうか? 設置されている案内板を写した画像でご紹介します。

北西地区の案内板になります。

こちらは、南東地区の案内板です。


北西地区と南東地区を結ぶ北東地区は,滑走路に並行した周回コース(一周3.900m)となっています。


この3地区合わせた緑地内だけで、5km程度は歩くことが出来ます。

それでは、歩いていきましょう。スタートは、南東地区の「みなみかぜ広場」から。

遊具があります。休日を中心に、親に連れられた子どもたちが元気に遊んでいます。撮影は平日なので、いないですね。

滑走路方向を眺めると。

2030年までに滑走路の延伸(1.500m→1.800m)が予定されています。こちら側には、100m延伸予定です。

少しばかり小高いところがあるので、上がってみます。

空港と反対側は、北海道らしい光景が。

ここからが北東地区です

しばらくは、滑走路と並行した道を歩きます。

あづまやとベンチが設置されています。疲れたら、無理をしないでひとやすみ。

隣接する私有地にある孤高(?)のポプラ。

旅客機が、RWY14へタキシング中。

バックに写っているのは、多目的レクレーション施設「つどーむ」です。大相撲の札幌巡業も、ここで行われます。

旅客機の正体は、トキエア。

今年から、丘珠~新潟間に就航しました。

ここで北東地区は終わりとなります。

滑走路は、こちら側には200m延伸予定。この辺りは、将来的には滑走路になるかと。

北西地区の「きたかぜ広場」です。

こちらには、展望ステージがあります。

上空を飛行機やヘリコプターが通過します。南東寄りの風の場合は着陸。北西寄りの風の場合は離陸します。

丘珠空港のウェブサイトに旅客機のフライトスケジュールが掲載されているので、(旅客機を)見る際のお役に立つかと思います。

丘珠空港(リンク)

離陸(許可)を待っているHAC機。

コンデジのデジタルズームで、展望ステージからなんとか撮りました。

北東地区に戻り、南東地区に向けて歩いていきます。

何故か丘珠空港上空だけ黒い雲が…。

飛行機の離発着が無いので、隣接する農地に目を向けてみると。

タマネギを掘り出した後です。

遠くに見えるのは、モエレ沼公園のランドマーク「モエレ山」です。札幌市東区にある唯一の山。ここからの距離は、約3.5km。

この山の高さは52m、標高は62m。不燃ごみと公共残土を積み上げた人工の山ですが、国土地理院の地形図に表示されています。人工の山だけど、正式な山?? 国土地理院は、山の定義をしていないとのことです。

スタート地点の南東地区に戻ってきました。ここにある、ちょっとした丘に上がると。

空気が澄んでいるのか、当別方向の山々がハッキリ(?)と見えていました。

そして、空港に目を向けると。

HAC2機とFDA1機の3ショット!(HAC:北海道エアシステム/FDA:フジドリームエアラインズ)

丘珠空港緑地でのウォーキングを、ご紹介しました。この空港では、日によっては訓練(飛行)や、珍しい飛行機の飛来もあります。延伸工事が始まったら、緑地の多く(すべて?)は立入禁止になるかもしれません。それまでは、ここでのウォーキングを楽しみたいと思います。

※ 今回は空港に隣接する緑地でしたが、丘珠空港の滑走路を実際に歩いたこともあります。よろしければコチラから。


2024年8月24日土曜日

【2022年開催・根室ウォークを振り返る】

※ 2024.8.24更新。追記しました。

2023年以前に参加したヘルシーウォーキングを画像と共に振り返る不定期シリーズ(?) 。今回は根室ウォークを取り上げます。

根室ウォークは、いつでもウォークとして毎年開催されています。そのため、参加しやすいとも言えるのですが、なにしろ根室は遠いです。札幌からJR利用で日帰りは可能とはいえ、現地滞在は長くても2時間半程度。基本コースが8kmの設定なので、その間に歩けないことはないのですがギリギリかと。

せっかくの根室です。滞在時間を増やし、ウォーキング以外にグルメや観光を楽しむためにも、宿泊をご検討をされた方がよろしいかと思います。

私は前日、釧路に宿泊し、当日の一番列車で根室入りしました。

6月中旬でしたが、朝8時頃の気温は8℃。涼しい寒い。

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それでは、歩いていきましょう。

ウォーキングマップはコチラです。(別ウインドウで開きます) 今年開催のマップですが、私が歩いた2022年とコースは同じです。

最初の見どころは、北の勝酒造場です。

1887年(明治20年)創業。日本最東端の蔵元。清酒「北の勝」醸造元は、「碓氷勝三郎商店」さん。米が取れない土地なので、本州から酒米を取り寄せて始めたとのこと。

かつては大阪などから運ばれる酒が高価だったため、より多くの人が飲めるようにと、ここで酒を造ろうと初代が思い立ったと。また、冬場の猟師さんの雇用確保の意味もあったそうです。

・参考リンク:根室市 地球探索鉄道 花咲線 清酒「北の勝」醸造元 碓氷勝三郎商店

旧根室郵便局跡がありました。

こちらが説明です。1873年(明治8年)に、根室最初の郵便局がこの地で開局。

北友社跡です。

このような説明板は、地元の歴史などを知るのに大変役立ちます。

NHKラジオ放送の中波用アンテナを撮ってみました。

このようなアンテナ、なかなか近くで見ることはないと思います。というのも、中波用アンテナは設備が大がかりで、広い敷地が必要となるので、どうしても市街地から離れたところに設置される場合が多いのです。それに比べると、FM放送用アンテナは、コンパクトといっても良いでしょう。

将来的には、NHKと民放数局を除いて、中波放送を廃止しFMに移行します。ラジオ離れが進んでおり、営業収入も減少。維持費の面などから移行もやむなしでしょうか。

明治公園です。画像にはありませんが、サイロはもう1基あります。

元々ここは、1873年(明治8年)に北海道で2番目に牧場として開場した「開拓使根室牧畜場」でした。1921年(大正10年)からは北海道練乳会社(現在の明治乳業)所有の土地となり、その時にサイロが建てられました。公園の名前は、会社名の明治から来ています。

・参考リンク:JA道東あさひ「明治公園

東根室駅。日本最東端の駅です。

ここは来たかったところ。列車では、何回か通っています。

〔2024.8.24追記〕

JR北海道は来年春のダイヤ改正で、東根室駅の廃止を検討しているとのこと。同駅が廃止された場合、日本最東端は根室駅となります。(北海道新聞、2024年8月24日、34面より)

そして、ゴールの根室駅です。

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以下は、オプションコースで立ち寄ることが出来ます。こちらの画像ですが、歩いた時のものではありません、2017年に根室を訪れた際(ウォーキング以外の目的で)、地元の方に案内していただいた時に撮影しました。

金比羅神社です。

高田屋嘉兵衛像です。

根室 金比羅神社は、1806年(文化3年)に高田屋嘉兵衛によって創祀されました。高田屋嘉兵衛は、江戸時代後期の廻船業者、海商です。箱館(現 函館)の発展に尽力したほか、国後島・択捉島間の航路を開拓。根室の発展にも大きく寄与しました。

根室港にある弁天島が見えます。ここにあるのは市杵島神社です。

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ウォーキングを終えると、お待ちかねの食事タイム。有名なグルメが、根室にありますよ。それは、エスカロップ。

エスカロップとは・・・。「漁師さんが早く食べることができ、ある程度ボリュームのある」メニューとして作られた、根室オリジナルの料理。「肉の薄切り=フランス語でエスカロープ」が名前の由来です。タケノコ入りのバターライスに薄切りのトンカツがのっており、デミグラスソースがかかっています。

・参考リンク:根室観光協会「エスカロップ お店マップ

伺ったのは、根室駅近くの「ニューモンブラン」さん。

札幌で食べたことはありますが、これが本場の味。美味しくいただきました。

そして、もう一つご紹介したいのが「やきとり弁当」です。どこかで聞いことあるなぁ、と思われるかもしれません。根室には、函館「ハセガワストア」さんから暖簾分けされた「タイエー」さん(ダイエーではありません)があり、「やきとり弁当」をいただけるのです。函館で食べたことがない方は、この機会にいかがでしょう。

※ 函館「ハセガワストア」さんのやきとり弁当は、当ブログの過去記事で紹介しています。合わせてお読みいただけたら幸いです。

・関連記事:ウォーキング後あれこれ~遅い昼食は「やきとり弁当」(リンク)



2024年8月19日月曜日

【2024年JRヘルシーウォーキング参加記〈北広島駅〉】

※ 2024.8.22更新。追記しました。

7月中旬以降、暑さを理由にウォーキングを控えていた(サボっていた?)私。久々、体重計に乗ると・・・。気温も(北海道では)そろそろ下がってきたので、いつでもウォークに参加することにしました。

場所は、札幌から近いところを選択。北広島です。エスコンフィールド(エスコン)が開業し、知名度が大幅にアップしたマチです。

ウォーキングマップはコチラです。(別ウインドウで開きます)

スタートします。歩き始めて5分もしないところに、石蔵を利用したお店を発見。

淡路島バーガー? 知りませんでした。有名なんですね。

駅から真っ直ぐ進み、ここで左折します。

奥に茶色の建物(マンション?)が見えていたら、この道で間違いありません。

しばらく進み、ここで左折。マップでは、わかりにくいかも。

歩道に印のようなものがあれば、道は合っています。

後は、マップ通りに歩けば、迷うことはないでしょう。

開拓記念公園です。自然の地形を活かした公園で、説明板(園内に複数設置)で北広島の歴史を知ることができるようになっています。


公園の説明です。

こちらが、開拓時代に利用されていた湧水。

道道(どうどう)46号線に出て、輪厚(わっつ)川を渡ります。エスコンが見えてきました。

エスコンは天然芝。生育のために、昼間はルーフを開けていることが多いようです。

そういえば、来季からエスコンの内野は人工芝になるとか。外野は天然芝を維持するようです。

マップ通り進み、エルフィンロード(札幌恵庭自転車道)に出ました。日ハムのグループ会社があります。千歳線の線路を挟んだ向こう側にはエスコンが。

こちらの会社は、エスコンの建設計画など無い頃からありました。

8月中旬現在、工事している箇所がありますので、通行にはお気をつけを。

千歳線をオーバークロスします。

ここが基本コース(左)とショートコース(右)の分岐点です。私は、左へ。

ここから道が不自然に曲がります。鉄道用地が広がるからです。

ここは、西の里信号場跡なのです。

信号場とは → Wikipedia「信号場」(リンク)

以前は、4番線(札幌方)と1番線(千歳方)にも線路と信号機がありました。


ここからすぐのところに、「自転車の駅」があります。

自転車などを利用される人のお休み処。レンタサイクルもあります。尚、飲食物の販売はありません。(自販機は有り)

ここが折り返し地点。今来た道を、戻ります。

そして、再び基本とショートの分岐点へ。

先ほどは、右側から手前方向に進みました。今度は、左側へ。

すると、エスコンが目の前に。

せっかくなので、寄っていきます。


空が見えていると、開放感がありますね~。

エスコンの思い出。昨年(2023年)の7月13日、平日デーゲームを観戦したのですが、試合開始前(12:44頃)、上空近くを飛行機が通過するのが見えました。

後から調べたところ、羽田から新千歳に向かっていたANA61便でした。このルートを通ることは殆ど無いので、珍しいと思い記憶に残っています。(試合よりも…)

エスコンを出てコースに戻る途中、キッチンカーに貼られた「酪農学園大学の搾りたて生乳100%使用」に釣られて(?)、ソフトクリームを購入。

エスコンをバックに。

うん、美味しかった。

北広島高校の横を通り、「平和の灯記念公園」へ。

平和の灯です。

広島から分火されたものなのです。

日本、そして世界の平和を、私も願っています。

エスコン~北広島駅間の道には、ところどころにフラグが。

新庄監督は3年目。来季はどうなるのでしょう?

再びエルフィンロードと合流し、駅までは真っ直ぐ進みます。

市役所庁舎の横を通過したら、ゴールはもうすぐ。

北広島駅に着きました。

北広島は何回か歩いたことがあり、ある程度知っているつもりでした。しかし、今回は新たな発見(忘れているだけ?)があり、楽しく歩くことができました。

実は、エスコンを出た辺りから、左足ふくらはぎに違和感が発生。帰宅後にマッサージをし、湿布薬を貼りました。現在は、ほぼ回復。

今回、約1ヶ月ぶりの10km超えのウォーキングで、身体(特に足)に負荷がかかり過ぎたのでしょうか? 毎日少しでも歩くこと、さらにウォーキング前後のストレッチが大切であることが、痛いほどわかりました。

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〔2024.8.22追記〕

「北広島市」が、一瞬だけ「広島市」だったことがありました。

広島町が北広島市になったのは、1996年(平成8年)9月1日。ちなみに、同市にある北広島駅は、1926年(大正15)年の開業時からこの名前です。

町が順調に発展し、市への昇格を検討した際、名前を「北広島」にすることを決定。広島町から北広島市にするのですが、一気には出来ないのでした。

まずは、広島町から広島市に変更。次に広島市から北広島市へ名称変更。地方自治法上、町を市にする手続きと、市の名称を変更する手続きは、同時に出来ないためです。この2つの手続き(広島町→広島市、広島市→北広島市)は、同じ日に効力を発揮。即日、広島市から北広島市になりました。

手続き上ではありますが、一瞬だけ広島市が日本に2つ存在したという話でした。興味深いですね。

・参考文献:木村崇教・本郷敏志『北海道「地理・地名・地図」の謎』、実業之日本社、2013年9月、p.30-31